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入賞できなかったコンテスト

小さな港町で開かれた音楽コンテストを、どのようにして水田ひろゆきが見つけてきたのかは知らない。チャンスだから出ましょうというので、エントリーをした。行ってみると、ずいぶんとがらんとした会場に、夏の暑い日差しが照りつけていた。暑さだけでグッタリしてしまった。

今回もちゃんとリハーサルをやってくれた。まず順調だ。他のバンドのリハーサルを聞く。なに、たいしたことはない。どう考えたって、自分たちがトップだと思った。まあ、プログレフォークという特殊性から、グランプリ(だったか何だったか、とにかく最優秀のバンド)に選ばれるのは無理かもしれないとは思った。それでも、いくつかある賞のどれかには入るだろう。

けれど、そこからが長かった。実際のイベントが始まるのは夕刻で、それまで延々と待ち時間がある。ようやく演奏が始まったと思ったら、今度は出番までに相当な時間がある。どうも水田バンドは待ち時間に祟られているらしい。

近くのショッピングセンターで時間を潰したりして、ようやく出番が回ってきた。ところが、肝心のリーダーがいない。私はステージに上がって楽器の準備を始めたのだが、すっかり用意が整っても水田ひろゆきは現れない。司会者が気を利かせて何とかトークで場をつなごうとしてくれるが、せっかく入っている客も退屈を始めた。これはどうしようもない。しかたないから一人で何か一曲やろうかと思い始めたところで、ようやく本人が現れた。

後で聞いてみるとタバコを吸いに行っていたのだそうである。しかし、なにも本番直前に吸いにいくことはないだろう。それまでに飽きるほど時間があったのだから。

結局このときは、予定の3曲を2曲に縮めてごまかした。そのせいというよりは、たぶん遅刻で審査員の印象を悪くしたせいだろう、賞にはかすりもしなかった。

何ともさえないエピソードである。そのときやった2曲のうち1つは、間違いなくこの「ライオンのたてがみ」。


客は子どもと年寄りばかり

一応ちゃんと客の入ったイベントでステージを踏んだのは、悲惨な初ライブから半年以上たった晩夏の夜だったと思う。水田ひろゆきが地元で見つけてきたもので、石笛奏者のコンサートの前座だった。この石笛奏者は、いってみればオカリナの宗次郎予備軍みたいなもので(失礼!)、CDも出していたが、各地のローカルイベントで地道にどさ回りをしているようだった。水田ひろゆきは「けっこう凄い人らしいですよ」と言っていたが、この人のことを聞いたのは後にも先にもこのときだけ。まあ、知る人は知ってるんだろう。

けっこう会場は広かった。PAもしっかり入っていて、前座とはいえ、リハーサルもちゃんとしてくれた。これは気合が入る。

けれど、その広い会場に、時間になってもほとんど客は入っていない。やっとまばらに入ってきたと思ったら、子どもたちと、孫の子守に付き添ってきたらしい高齢者が何組か。

そういった客を相手に、プログレフォークでもないだろう。けれど、水田バンドのレパートリーはそれしかない。後に登場した石笛奏者でさえ、ローカル客用に童謡や歌謡曲のサービスをしていたというのに。

もう一つ別バージョンの「ビールのコップ」。これは子どもが聞いてもポカンだろうな。


悲惨だった初めてのライブ

水田バンドの初ライブは、大晦日の夜に企画されたあるライブハウスの飛び入りイベントだった。ローカルなギグで衝撃のデビューを飾ろうと、水田ひろゆきが思ったかどうかは知らない。クリスマスもお正月もたいして関係のない独身男二人にとって、大晦日の夜にほっつき歩くのは別に何の不都合があることでもなかった。
しかし、事前に状況を探りもせずにいきなり会場に行ったのがいけなかった。いかに飛び入りイベントとはいえ、順番がある。年越しの瞬間はおろか、深夜の1時、2時まで、数多くのバンドが既に先を占めていた。水田バンドの順番は最後。大トリといえば聞こえはいいが、いつになることかまるで読めなかった。バンドのほとんどは若いパンクバンドで、待ち時間を聞いていても途中で嫌になってしまった。いったん抜け出して時間を潰し、また戻って、ようやく順番が回ってきたときには既に元日の夜も白みかけ、誰も客はいなくなっていた。
「やるんですか?」と、ライブハウスの人がうんざりした顔で聞いた。私もうんざりしていた。たぶん水田ひろゆきもそうだっただろう。けれど、ここまできてやらずに帰るのも癪に障る。誰もいない観客席に向かって、水田バンドは初ステージを踏んだ。2曲ほどやって、逃げるようにこそこそと帰っていった。

たぶん、そのときにもこの曲はやったと思う。「ビールのコップ」。


レパートリー

水田バンドのレパートリーが狭いのは、比較的短い期間にいくつものライブをこなしたからということもあるかもしれない。ステージはいずれもイベントの余興のようなものだったから、短い場合は2、3曲、長くても5、6曲程度までしかやれなかった。だから、レパートリーを増やすよりは、少ない曲を徹底的に練習して仕上がりをよくする方がよかったわけだ。

だから、「ライオンのたてがみ」「ビールのコップ」「嘘だけついてる人の歌」は、飽きるほど何度も練習した。多くのテイクが残っているのもそのせいなのだろう。この録音は、「ビールのコップ」のごく初期のテイクである。


ライブ活動

水田バンドの活動期間は2年程度ではなかっただろうか。水田ひろゆきと私の交友関係は十数年に渡るから、一緒に音楽をやったのはそのほんの一部の間に過ぎない。その短い期間に、記憶に残っているだけでも6、7回は水田バンドとしてステージに立った。
もちろん、出演料のとれるようなアクトではない。惨めなものでは客が全て帰った後の飛び入りイベントでやったこともあるし、その逆にまだほとんど客の入りのない前座としての出演もあった。多くはローカルなイベントの余興であり、観客が小さな子どもや高齢者ばかりというケースもあった。そんな聴衆を前に青春の苦悩を歌う水田ひろゆきを気の毒に思うこともあったのである。

このテイクは、そんな抽象的な歌の一つである「ライオンのたてがみ」の、ごく初期の練習バージョンである。


バンド編成

水田バンドは結局のところ最初から最後までギターとベースの二人編成だったのだけれど、リーダーの水田ひろゆきがそういう構想でバンドをつくっていたのかどうかはわからない。たぶん、あとドラムスとリードギター、キーボードぐらいを加えた4〜5人編成を考えていたのではないだろうか。実際、リードギターの候補はいたし、ドラムスにもキーボードにも候補はいたようだ。けれど、セッションにさえ至らなかった。
メンバーが忙しかったということもあるし、地理的な問題もあった。水田ひろゆきとベースの松本でさえ、軽トラで1時間半はたっぷりかかる距離を離れて住んでいたのだから。

そんな不便ななかで練習した「嘘だけついている人の歌」の、やはりこれも練習バージョンである。


楽器

水田ひろゆきのギターは、いわゆるエレアコだった。それを生音で弾いた。ベースの松本は最も安物のソリッドベースを使った。たぶん2万円しない代物だ。おまけにアンプはたいていラジカセで代用していた。だから、全体的に音はペラペラである。ペラペラではあるけれど、音楽そのものは安物ではない自信はあった。実際、数は多くないがライブに招かれてその評価も決して低くはなかったのである。

この曲は、「嘘だけついてる人の歌」の、やはり初期の練習テイク。こんなふうに探りながら、曲ができあがっていった。


練習場所

多くのバンドは、練習を貸しスタジオでする。しかし、水田バンドでスタジオに入ったのは1回しかなかった。それも、「スタジオで録音しようか」と入ったのだが、録音機材の調子が悪く、普通に練習しただけで終わってしまった。

ほとんどの練習は、ギターの松本の勤務先の事務所で仕事が終わった夜、あるいは水田ひろゆきが当時働いていた牛小屋の片隅で行われた。どちらも機材はなく、ギターの生音とラジカセに通したベースの音での練習だった。だからPAを通した音は本番以外では経験しなかった。言い換えれば、PAを通した練習の唯一の機会は本番直前のリハーサルだけだった。

このバージョンの「嘘だけついてる人の歌」は、事務所での録音ではないだろうか。


曲ができるまで

水田バンドの曲は、全てが水田ひろゆきの弾き語りレパートリーである。これを目の前で弾いてもらって、ベースをつけていく。テープをもらって練習したこともあるが、あまり真面目なベーシストではなかった松本は、ほとんどぶっつけ本番のアドリブをもとにアレンジを固めていった。テープをもらっていても、忙しくて聞けないこともあったと思う。

そんなソロの弾き語りは、こんな感じ。当たり前のベースラインが乗りにくい曲で、苦労した。「嘘だけついてる人の歌」である。


一本道

水田ひろゆきはフォーク歌手の中でも特に友部正人が好きだったようで、その曲を何曲かカバーした。この「一本道」もそのひとつだが、残念ながらバンド演奏の録音は残っていない。「中央線」がどうとかいう歌詞が他の曲に似ていたので、そのことを質問した記憶があるが、水田ひろゆきはそっちのもっと新しい曲のことはよく知らなかったようだ。どこまでいっても音楽指向の違うギターとベースの二人組が水田バンドだった。この録音は、デモ用に水田ひろゆきが弾き語っているもの。

オカリナ?

水田ひろゆきは、アレンジを完璧にして曲を持ち込んでくる。ギター一本の弾き語りで自分のイメージを完成させてしまうのである。だから、ベースをどうつければいいのか、ずいぶん戸惑った。これがフルバンド編成ならいったんボーカルの弾くギターをボツにしてアレンジを作り直せばいいだろう。けれど、ギターとベースの最小編成ではそういうわけにもいかない。ギター一本のアレンジにどうにかしてベースを絡めなければならない。いつも手探りだった。
この曲などは、イントロは単純なロック風で、比較的やり易いのかなと思った。ところが、そのイントロ部のリフを本体の中に持ち込むことができない。イントロと実際の曲がまったく別々の造りで、それをつなげてあるだけなのだ。「卑怯だ!」と思ったものだった。

最終的にこの曲も、練習はしたけれどステージにかけなかった。だから曲名は覚えていない。さびの部分の歌詞が「オカリナ」に聞こえることから「オカリナやろうよ」と言ったら、水田ひろゆきは憮然とした顔をして、「オカリナなんて言ってない」と返事した。だからボツにしたんだろうか?

僕はこの街で

練習はしたけれどステージにはかけなかった曲もある。この曲もその一つで、もうタイトルも忘れてしまった。歌詞から仮に「僕はこの街で」としておこう。途中でリズムが突然変わるのでやりにくい曲だった。さすがプログレファンだけあって、水田ひろゆきの曲には一筋縄でいかない仕掛けが随所にあった。この曲でも、ベースがコード進行についていっていない箇所がときどき聞こえてくるのである。

やらなかった曲

水田バンドのレパートリーは決して広くない。次々と新しい曲をやるよりは、手持ちの曲を何度も練習して完成させる方をリーダーの水田ひろゆきが好んだからだ。とはいえ、たまに新曲を持ち込まないことはなかった。この曲も、そんなひとつで、まずはデモンストレーションで水田ひろゆきがギター一本の弾き語りを効かせたものの録音である。ただし、この曲は結局はやらなかった。ベースの松本の「長すぎる」という言葉に水田ひろゆきが呆れてしまったからである。

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空が落ちてくる

この「空が落ちてくる」という曲は友部正人の作品らしいのだが、私は水田ひろゆきの演奏以外で聞いたことがない。奇妙な歌だと思うし、率直にそういうことも言ったが、水田ひろゆきは「いい歌でしょう」と譲らなかった。よく演奏したのだが、アップテンポでもスローでも、いまひとつしっくりこなかった。このテイクも、ごく初期の練習録音。

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天国の扉

水田バンドのリーダーである水田ひろゆきとベースの私の音楽の趣味はずいぶん違っていたが、Bob Dylanはその中でもわずかに重なる部分の一つだった。だから、Bob Dylanの曲をやる分には問題はなかった。
ただ、それがKnocking On Heaven's Doorというのはがっかりした。映画ビリー・ザ・キッドのテーマであり、エリック・クラプトンがカバーし、それを桑田佳祐が真似したりして、Bob Dylanの膨大なレパートリーの中でも非常にポピュラーになってはいるものの、この曲にはまったく面白みがない。同じ3コードの循環ならAll Along The Watchtowerのほうがずっとカッコいいし(Jimi Hendrixがこれをカバーしたのを真似て、ClaptonはKnocking On Heaven's Doorをカバーしたのだろうか)、メジャーコードがよければLike A Rolling Stoneのような名曲だってある。単純な映画の一シーンの描写に過ぎないKnocking On Heaven's Doorは、およそBob Dylanの曲の中で最も薄っぺらな歌詞の一つにちがいない。

日本語の翻訳は誰だか知らないが、どう訳したってたいした曲でないことに変わりはないと思う。

未来の君へ

水田ひろゆきはプログレとともにフォークソングも好きだけれど、私はどちらも守備範囲ではない。もちろん彼のオリジナルも知らない。だから、たいていはセッションで水田ひろゆきが弾き語るのに合わせてアドリブでベースをつけ、それをカセットテープに録音しておいてあとで聴き直して練習するという形でアレンジが決まっていった。そんなテープが手元に残っているわけである。
この「未来の君へ」という曲は彼のオリジナルではないらしいが、私は知らない。この録音は、この曲の最初のセッションで探りながらベースを入れていったときのものではないかと思う。

竹田の子守唄

水田ひろゆきは、京都の人である。京都といえばフォーク・クルセーダーズ縁の地であって、ギターを抱えた若者も多い。彼の音楽の中にその影響がないと考える方がおかしいかもしれない。そんなフォークの定番ソングである「竹田の子守唄」。

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狙いを定めて

水田ひろゆきの音楽は、「カッコいい」音楽だと思う。どちらかといえばあまり格好のよくない、ダサい音楽をやってきた私には、少々格好がよすぎるような気がした。けれど、バックでベースを弾くだけならどんな歌でも別に関係ないやと、私はベーシストを引き受けることにした。これが水田バンドの結成である。
この歌も、ずいぶんとカッコをつけた曲だと思う。タイトルは忘れてしまったが、確か「狙いを定めて」じゃなかっただろうか。

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ビールのコップ

水田ひろゆきと初めてセッションをしたのは、当時京都府の北部にあったある事務所の一室であった。業務が終わって他の人たちが帰った小さな事務所に、農作業を終えた水田さんがギターを抱えて姿を現した。夏の夕暮れで、まだ戸外には明るさが残っていたように思う。ベースを事務所のBGM用に使っていたラジカセにつなぎ、最初にやったのがこの「ビールのコップ」だった。初回で戸惑いながらコードを探り、「これはやりにくいなあ」と思ったのを覚えている。
何曲目だったか、突然事務所の扉が開いて、あいかわけいが現れた。あいかわけいは、アイジンズも解散し、エロ狂言も相棒を失って、いまではブラジル系の音楽をやっている。しばらく私たちの練習を聞いた後、一緒に飯でも食ったような気がするが、もう定かではない。

ライオンのたてがみ

水田ひろゆきと知り合って間もないころ、彼の古ぼけた軽トラの助手席に座っていた私は、「音楽聞くんですか」と質問を受けた。私は「まあ、何でも聞くよ」と答えたが、こういう質問をするときは、質問をした方が話したがっているのに決まっている。「水田さんは何を聞くの」と尋ねると、「プログレが好きですね」と言って、聞いたことのないドイツのバンドの名前を並べ始めた。奇妙な奴だなあと思った。プログレなんか聞く奴は、変人に決まっている。
その彼が「バンドやりましょうよ」と言ってきたとき、正直、プログレなんかはできないと思った。ところが彼がフォークギターを抱えて歌うのは、どちらかといえば70年代フォークに近いオリジナル。ちょっと意外な気がした。
けれど、よく歌詞を聞けば、内容はずいぶんとシュールだ。それにコード進行だって意外に単純ではない。なるほど、これがプログレ野郎のフォークソングかと納得したものだ。

今回は、そんなプログレ風の味がよく出ている「ライオンのたてがみ」。

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嘘だけついている人の歌

水田ひろゆきは、京都を中心に活動しているボーカリスト。最近はどうしているのだろう。もう一つの活動である野菜作りは忙しいのだろうか。古い音源から、彼のオリジナル曲の一つ、「嘘だけついている人の歌」を紹介する。

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